京都一夜話(青い空に浮かぶ雲@埼玉さん)

コワ〜イ話にご応募頂きました・・・

私の怖い話は幽霊やお化けに出会ったという体験ではないのです。
私が幽霊になったというお話です。
それは私が京都の予備校に通っていた19歳の頃、50年近く前のお話です。

四国の山奥にある親元から初めて離れた事もあり、
下宿していた住所は今でも朧気ながら覚えています。
確か「上京区烏丸口相国寺東門前町東入」と京都独特の言い回しの住所でした。
Googleで調べると今は町名が変わったのでしょうか、見当たりません。

下宿は、絵師若冲との関りで近年とみに有名となった禅寺「相国寺」の、
長い土塀の続く通りから、東に伸びた道の角にありました。
その土塀越しに卒塔婆が見えたような記憶がありますが、
これは後で私が作った記憶かもしれません。
下宿は築30年程の木造2階建の一般住宅で、
1階には京都市役所を退職したご主人と奥様の老夫婦お二人が住んでいました。
下宿とした2階には私を含め、予備校生三人が住んでおりました。
屋根はセメント瓦で葺き替えられていて、夏は暑く、冬は寒い思いをしたものです。
京都の市街地ですが、近くに御所もあり緑も多いからでしょうか、
夜道を歩くとイタチに遭遇したこともありました。
観光客があふれた今の京都とは全く違う、のどかな世界でした。

それは夏から秋になる頃だったと思います。
夜中就寝中、何時頃であったかは忘れましたが、強い金縛りに遭ってしまいました。
土の中に埋められたかのように身動きが取れず、声を出す事もできません。
このまま目覚める事はないのではないかと恐怖感にとらわれました。

それでも、しばらくすると金縛りも解け、何とか目覚める事が出来ました。
その時は、息をするために地面から顔を突き上げたような呼吸をしたのを、
今でも覚えています。
おそらく金縛りに遭っている間は呼吸もできていなかったのでしょう。
ようやく金縛りから解放され、やれやれひどい目に遭ったものだと思いながら、
気を落ち着かせようとした時でした。
自分の寝姿を見て、再び恐怖に凍り付きました。
仰向きに寝ていたのですが、肘から下の腕を胸の上に置き、
両手の甲を前にだらりと下げた幽霊のような姿でした。
手首を真下に曲げるなど、考えられない不自然な寝姿でした。
暫くは怖さで寝る事が出来ませんでした。

幽霊画に描かれる『恨めしや』と悲しそうに両手をだらりと下げた幽霊の姿は、
この世に思いを残し、成仏できない姿を、形で表現しているのではないでしょうか。
しかしなぜ、私がそのような寝姿をしたのか、当時を振り返っても、思い当たる事はありませでした。
その後は金縛りにも遭うこともなく、その夜限りの事で、忘れておりました。

幸い、翌年には希望の大学に合格出来ました。
第一志望の大学の試験では、数学の問題用紙を見た時、解けそうな問題がなく、
二浪覚悟をしましたが、解いている内に不思議と全問正解の解答が出来ました。
こんな経験は初めてでした。
これも大家さんから頂いた学問の神様、北野天満宮のお守りのお陰でしょうか。
夏休みで、里帰りをするときには浴衣の生地を持たせてくれたりもしました。
大家さんと下宿人との、そのような関係はその頃にはまだ京都にはありました。
いい時代でしたね。
数年後、お礼も兼ね挨拶に伺いました。ご夫婦お二人ともお元気で、
大変喜んでいただき、帰りにはご丁寧にお土産の和菓子も頂きました。
訪ねてよかったと思っております。

しかし、今は建物も残っていないようです。おそらくお二人もご存命ではないと思います。
出来ればもう一度くらいお訪ねすれば良かったと後悔しております。
『光陰矢のごとし去る者は日々に疎し』寂しい限りです。

長い歴史を持つ古都でのたった一年の浪人生活でしたが、怖い話の募集を見かけ、
久しぶりに京都での一夜の出来事を思い出しました。

青い空に浮かぶ雲