自転車・・・便利ですよねー
特に、ワタシがいま住んでいるところは自転車で移動できるエリアにお店がいっぱい♪
西宮ガーデンズや、ららぽーと甲子園などのモールを始め、
スーパーやカフェなど、楽しいところがたくさんある。
でも、ワタシは自転車に乗れない(大泣)
高校生になって自転車に乗りたくて、父に頼んでみると、、
「おまえは自爆するタイプで危ないから、自転車は禁止」って言われた。
でも母が練習させてくれて、その時はなんとか乗れるようになったけど・・・
その後、乗る機会もないまま30年とちょっと経って、齢50を前にした頃、わかったことがある。
親父、手抜きよった。
ワタシ的には、危ないヤツとわかっているのなら、危なくないように教えろよ!なのだ。
父親はクルマが好きでドライブ好き、1kmと離れていない床屋に行くのもクルマ。
若いときからずーーっとクルマに乗っていたから、道路事情は熟知していたはず。
その経験で自転車の乗り方だって教えられたはずなのに。。
「危ないから禁止」は一番ラクな方法だと思う。
でも、それじゃ子供は何も学べない。
自分がどう危ないのかも知ることができない。
せめて、小学生くらいまでに「自分」はどんな人間なのか、気付く機会が欲しい。
「禁止」ではなく「挑戦」させて欲しい。
自転車でも、ウチのお手伝いでも、なんでも良い、ちょっとしたことでいいから「経験」させて欲しいんだ。
危ないからって、教えることをやめないで!!
もう一つ、これまた齢50を前にした頃わかってきたことがある。
ワタシの母はとても躾けに厳しい人で、高校生まではホントによく叱られた(汗)
でもそれは「ワタシの個性」を封印した上で、「社会とうまく折り合いを付ける生き方」を教えてくれていたんだよね、たぶん。
学生の頃から優等生(理論的思考)だった母にしたら、爬虫類脳(動物的行動)で生きているワタシが理解できなかったんだろうな。
「放って置いたら、犯罪者になる!」くらいの危機感があったようで、迷いながらも「封印」という手段を取らざるを得なかったんだと思う。
自分が理解できないことって、たいてい受け入れがたい。
母の場合は「拒否」「否定」という形になってあらわれていたような気がする。。
そんな躾の結果、ワタシは長い間、自分は「アカン子」だと思っていた。
ま、きさ研に巡り合ってからそれも解消されたんだけど、「アカン子」っていうのは自分がどういう人間(個性)かわからなかったからだと、今になって答えが出てきた。
きさが常々「教育は専門家に任せたほうが良い」と言っているけれど、自分の経験と照らし合わせると、今更ながら実感してしまうんだなぁ。
りこ@Ge3 #人生マッシグラ!
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