「淵(ふち)」の話

Ge3のオーディオ製品は、20年前から「(演奏者が)現れる」とか気配を感じるといった方向性にあったのだと思う。「現れる」という感覚を強く感じるようになったのは、超結界・豆を使い、雷智9.3を合わせて使った頃だ。そして断断断「箱」断断断が加わった頃にきさ@Ge3から、「淵(ふち)」という考え方の話を聞いた。

コンサートに行くと、生演奏が始まって、演奏された音楽と演奏者の「気」はそこにあり溶け合っている。ところが録音すると、その名の通り、音は記録されるけど、「気」がどこかに行ってしまう。その「気」は消えて無くな流のではなく、どこかで浮遊していると考えているそうだ。

中学生の頃の手元のオーディオと言えば、せいぜいラジカセで、ラジカセから「現れる」ということは無い。昔、かなり高価なBOSEのラジカセを買ったけれど、未だに「現れる」ことは無い。それから、高額なハイエンド・オーディオでは、確かに音場が現れることはあるし、教会のオルガンに近い、超低音が出たりする。よく調整されているお宅では、オーケストラが十分の一くらいの規模になり、オケのメンバーが整然と並んでいるのだけど、半透明の人間の様な、CGの様なメンバーが並ぶ。ハイエンド・オーディオをやっている人達は「生々しい音だ」とは言っても「現れる」とは言わないし、思ってもいないのかも知れない。

「箱」断断断を入れた頃、その効果がすぐに解らず、どうしたものかと思っていた。
仕方がないので、そのままやり過ごしていて、ある日弦楽四重奏のレコードに針を落として、スピーカーを背にして椅子に向かおうとした時、背中に人の気配を感じて、ゾクッとした。「箱」断断断は、部屋もしくは空間に作用する様だ。第一バイオリン奏者が、まさに演奏を始める前の息を吸い込むその前の一瞬の気配がした。

淵が整ってくると、録音の時にどこかに行ってしまった「気」や何かが淵の中に戻ってきて、「現れる」ということになる様だ。レコードの方が淵が成立しやすい様だけれど、デジタルにもこの考え方は通じる。

さらに驚いたのは、昔の「篳篥」に断断断を三度重ね塗りしてトーンアームの出力ケーブルに巻いた時。現れた第一バイオリンの気配と音に「気」が溶け込んでさらにリアルに「現れ」た。

オーディオは、まだまだ可能性がありますね!
もっと追求して行きます。