でも、決して嫌な感じではないんです。
なんとなく、だめかな、というのではなく、
これは自分のなかのジャッジメントにおいてはダメ!という、
あいまいさを排除して、しっかりと理由づけができるようになった、
という点で、すごくいい感じなんです。
なんというか、脳内カーナビができた感じです。
自分が目指したいもの、善とするもの、美とするものと相容れないから、
アタシが目指す目標とは違う方向だからアタシはいいです、
と言語化できるようになった、と。
一回修羅場を経験(まあ大したことないことかもしれんのですが)してみると、
その「嫌い、ダメ」という感覚は、結構大事にすべきで、
逆らうより、冷静にそこから遠ざかる算段を付けるべきなんだろうな
という感じがしてます。
自分は、言葉を大事にできない、書物から物事を学べない
「本なんてすぐゴミになっちゃうじゃん」等と言ってのける輩や、
他人の悪口や、おかれた状況に配慮できずに
一方的に他人の批判をする輩が大嫌いなんですが、
結局、「よいしょ」が理解できない、よいしょを出して周りを助けて
自分も助けられることを理解できない人たちの典型例なんだろうなー、と。
近頃、それを真剣に考えざるを得ないのです。
私は仕事で言葉を通して、
お客さんに「よいしょ」を贈ってあげることができる瞬間にあうと、
とても嬉しいし、大切なお客様として、相手ときちんと心の重み、
敬意や謝意を乗せた言葉を交わして、お客様が心をほどいて
高揚感を味わってくださる瞬間に会うのがとても楽しい。
匠美は、その感覚を磨くのにとても役に立っているのかなあ、と思ってます。