オーディオ観を根底から揺さぶる威力(東京都 HHさん)

オーディオを論じるときによく言われる「音場」、「音像」には全く興味がなく(それらの言葉の意味も実はよくわかっていないので)、ここしばらく掲示板を賑わしていた「3D再生」にも、故二代目枝雀の言葉を借りれば「それがどしたの?」という程度の関心しかありませんでした。掲示板の熱い議論を読むにつれて自分が音楽の再生に求めるものとGe3の目指す方向がずれてきているのかな、とすら思い始めていました。
 
もあれはそんなちっぽけなオーディオ観を根底から揺さぶるだけの威力を持っていました。もあれ塗布後、音質評価用に常用しているクナッパーツブッシュの『ワルキューレ』第一幕を聴いて、ウィーンフィルの各楽器セクションが見事な広がりをもって眼前に整列したとき、驚きのあまり音楽に感動しているのかオーディオに感動しているのか判然としなくなりました。音がどこから聞こえてくるか、などということは音楽の本質にとっては(ごく一部の曲を除き)どうでも良いことであるという思いは今でも変わりませんが、もあれがもたらした異次元の音空間を体験してみると、空間の再現力が音楽の説得力に直結しているのではないか、と考えざるを得ません。別の言い方をするなら、のびやかな空間が再現できない装置ではスケールの小さなちまちまとした音楽しか鳴らないのかもしれません。

 

もうひとつ驚いた音源はトスカニーニ&NBCのベートーヴェン(交響曲2番)でした。最初のffが鳴ったとき、あれれモノラル録音だと思っていたのにステレオ録音だったかいな?と一瞬頭が混乱しました。あまりに立体的に聞こえるので耳が(というか脳が)瞬間的にステレオ録音と勘違いしたようです。音の立ち上がりから減衰するホールトーンまで、きちんと再生されたモノラル音源は、空間の広がりを感じさせることができるのかもしれません。

もあれには空間の再現力を劇的に高める作用だけではなく、中高音の歪感の減少、低域の分解能向上という副産物(?)もあります。しかも通常のオーディオアクセサリーなら「激変」という常套句が使われるに違いないレベルで変わります。前述の『ワルキューレ』でももあれ前は「固いゴツゴツとした音」という印象を持っていたのですが、もあれ塗布後、ウィーンフィルらしいしなやかな(しかも芯のある)美音で再生されるようになりました。歪感が減るという単一の事象ではなく、固くこわばった空間がほぐれるという印象です。

原状回復が困難なオーディオアクセサリーの適用には勇気が要りますが、もはや自分の音楽再生にもあれは不可欠になってしまいました。
自分のオーディオ史には紀元前/紀元後に倣ってBM/AM(もあれ前/もあれ後)という述語を使いたいと思います。あとは経年劣化がないことを祈るばかりです。

その後、HHさんのダンパーにもあれのレビューもあります

<Ge3スタッフコメントbyきさ>
確かに”もあれ”を使うかどうかによって、紀元前と紀元後は適切ですね。
使わせて頂きます。