伊丹プラネタリウム in JAZZ を観て、判ったコト

プラネタリウムが大好きだった。

子供頃、大阪市立電気科学館が好きでよく連れて行ってもらった。
そこのプラネタリウムが大好きだったからだ。
今更だけどググって初めて知ったのだが、
ここのプラネタリウムは日本最初の施設だったのだw

それが理由なのかは判らないが、星空が気になる子供だったのは確かだ。
大阪の市内に住んでいたので、空はあまり綺麗じゃなかった。
せいぜい北斗七星が見られる程度だった様に思う。
1960年台の日本の空はそんな時代だったのである。
10歳の頃、琵琶湖で初めて天の川を見た。
あまりの星の多さに、それが星だとは判らなかった。
「空が何かで汚れている」と思ったのを覚えている。

その後、キャンプやスキーなど、とにかく空の綺麗な所に行くコトが好きだった。
空を見ながら地面に寝そべるのである。
そして星空をいつまでも見上げると言うのが好きだった。
そんな風に10分も見ていると流れ星は必ず見える。
別に流星群でなくても流れ星は普通に見える。

プラネタリウムは好きなので機会があればよく見ているつもりだった。
7〜8年前だろうか銀座でMEGASTARのイベントをするのを知った。
肉眼では見えるよりも何倍も星数が多いと、ギネスにも載ったとかで大きな話題にもなった。
すごく期待して行ったが、期待が大きかったのか非常に残念に思えた。
それでも機会があれば各地のMEGASTARは見るようにしていた。
でも、子供の頃の様な感激を受けるコトは無かった。
それで「自分の感度が鈍くなったせいだ」と思っていた。

ところが、Wilson Audio、SIGMA に続くショックな体験が近くであった。
「伊丹プラネタリウム in JAZZ」というイベントに行ってみたのだ。
そして判った事はプラネタリウムの星空には
”気”が全く無いコトである。
MEGASTARでも古い装置でもプラネタリウムの星空には”気”は全く無いのである。

これまでデジタルは「”気”が記録され難い。再現し難い」という趣旨で話を進めて来たが、
数値にしたがって開けられた穴を見ているのがプラネタリウムだとすると、
そこには”気”が介在するコトは難しいと思う。

残念ながら、プラネタリウムの星空に”気”は無い。
プラネタリウムに癒し効果を期待している人は、精神的効果はあるのだろうが、
”気”の効果は無いと思う。

”気”を期待するのであれば、本物の星空を見に行こう。